春の光

「春光」

先日亡くなった母の戒名の一部分である。冬の冷たい空気を温めるような、明るく柔らかい光をイメージさせる言葉。祭壇を見つめながら悲しみの涙から感謝の涙に変わったのを感じた。

 

およそ多くの人が経験するであろう"親の見送り"が突然訪れ、年齢的には遠くないうちにあるかもしれないとわかってはいても、一連の儀式を終えた後の喪失感は想像を超えて重くのしかかった。

しばらくの間の緊張感に加えて慣れない実家の寝具で寝泊まりを続けたこともあり、私の交感神経は休まることがなかったようだ。自宅に戻り、体力維持のために久しぶりにランニングをしようと、1km(7分)+rest2分を2~3セットという設定でまず1kmを楽にこなした。restに入り約1分後、異変に見舞われた。呼吸も脈拍もそこそこ速いのに、頭に血が巡ってこない感覚。俗に言う脳貧血のような状態に陥り、危険を感じたためしゃがんで目を閉じて呼吸を整えていたが、人の声がして目を開けると地面に横たわっていた。やだ、こんな所で寝ちゃった!?といった感覚だったが後頭部からの出血に気づき、通行人の方が救急車を手配してくださり、病院に搬送される事態となった。

様々な検査を行ったが特に留意するような所見はなく、"神経的なもの"によるのではないかとの診断だった。大いに心当たりがある。元々貧血気味であること、迷走神経反射が起きやすい体質であること、そしてこのタイミングである。(迷走神経反射:睡眠不足、水分不足、ストレスなどによる神経系の異常や様々な症状が現れること)

私自身、医療技術職の立場でありながらこんなことになったのは猛省するしかない。表在意識(大丈夫💪)と潜在意識(ダメ…😵‍💫)の擦り合せが全くできていなかったのである。いくつになっても学ぶことがあるものだと、事ある毎に思う。

その後数日間はこのことによる心理的なショックで、特に夜になっていくに連れて気分が沈んでいくのを感じていたが、それも時間の経過とともに次第に和らいでいった。毎日の食事、入浴、睡眠に気をつけるようにしてプラスのエネルギーを増やすようにイメージしている。

 

ここまでの話であれば、"突然母を亡くした人の心の疲弊"ということになるが、これだけなら私の自律神経は実はそこまでヤワではないのでこうはならなかったと思っている。

もっと根深い問題にこれから向き合わなければならないのだ。

ここまで生きてきた中で出会った言葉

「転んでもただでは起き上がらない」

「ピンチをチャンスに」

これらを心に据え置き、踏ん張っていこう。