おなかのご機嫌

腸活って、難しい。

20代の頃、身体を温めることの大切さ="温活"というものを知らず冬でも薄着で過ごしたり、風呂はシャワーのみだったり、冷たいものを好きなだけ飲み食いしたり。これらによりよくおなかを下していたものだった。仕事にも支障を来していたためさすがに本気で対処しなければと思い、人やTV、ネットの情報から温活にやっと辿り着いた。

生活を見直し始めてからすぐに効果を感じることになった。月経の度に下痢になっていたのが嘘のようになくなったのである😳具体的に言うならば、気候に応じた服装にする、毎日半身浴をする、飲み物は夏以外は常温かホットにして、旬の食材を意識的に摂る、というもの。簡単なことなのに全くできていなかった過去を反省した。

それから数年間(30代前半)は体調も良く若さもあり、「今が一番幸せ!」と思うくらい生き生きとした日々を送っていた。そして30代後半になると・・・

「便秘」は私にも訪れた。今の仕事は食事のタイミングや睡眠の質において、規則的とも不規則的ともとれる生活サイクルとなっている。この生活パターンにおけるストレスの要因は私の場合、「睡眠」である。子供の頃から寝付きと眠りの深さに難があった。後に睡眠と腸の間には強い関係性があると知りそれを気にかけてはいても、目や脳に刺激を与えるとされるブルーライトに晒される時間がどうしても長くなりがちで、これによって睡眠に悪影響を受けていることは言うまでもない😑

これにも本気で対処することになるのだが、やはりスマホを使って情報収集するという皮肉… そんな中、これは!と思ったのは、医療従事者のSNSの投稿にあった「FODMAP」。4種類の発酵性の糖質で、これらを多く含む高FODMAP食品を摂りすぎると腸内でガスが大量に発生し、腹部膨満感や便秘につながるとのこと。便秘の心理的ストレスというものは食欲に表れ、塩分・糖分・水分を同時に欲し、凄まじく体重を増加させる。翌日にでもすぐにリセット(糖分抜き=甘いものを控える)すれば数日で余分な水分が抜けていくのだが、偏食が数日でも続いてしまうと2週間から1ヶ月は身体(おなか)の重さとそれによるストレスを感じ睡眠不足にもなり、悪循環となってしまう。

睡眠不足の原因は寝具にも大きく左右されており、いわゆる「枕難民」というやつである。前月に実家に滞在していたとき、慣れない枕とマットレスに身体が完全にノックアウトを食らい、あの後の気絶に大きく起因していると思われる。

 

加齢によって整腸対策も常々変わることを面倒に感じることもあるが、人生ってそんなものかもなぁと最近は開き直ってもいる。ストイックに腸に良いことだけを続けるのは心に良くないし、逆も然り。以前、自律神経のバランスを崩したときに思ったように、腸と心のバランスも大切だと思う。どちらかに傾かないようにちょっと意識するくらいで良いのかなぁと。食事、睡眠、心の栄養(たまには嗜好品を飲み食いしちゃう🍪🍨)、運動、・・・これを書き出すと結構キリがないかも😅

今日(休日)はこの後ランニングで汗かいて、水分補給して、ストレッチして、抗酸化作用の高い食事を摂って、終わりのない腸活を思い遠い目になって・・・完。

心への語りかけ

長くてあっという間の2ヶ月が過ぎようとしている。兄からの電話で母の訃報を知ったとき思ったこと―――お母さん、今日なんだね―――

母は生まれたときから心臓が弱く、子どもの頃は登り坂を少し上がっただけで呼吸が苦しくなるほどだったらしい。小学校入学を1年遅らせ、体育の授業はずっと見学していたそうだ。母方の祖母は母が生まれてから9ヶ月後に亡くなっている。遺伝の影響もあるだろうが母の身体はひと際小さく、クラス一小さかった私でさえ小学5年生のときに母の身長を越したほどだ。

そのような話を聞いていたので、母が50代、60代となっていくに連れ一抹の不安と元気でいることへの感謝の気持ちが複雑に入り混じるのを感じていた。そして70代になると同時に世界に大混乱が起きた。県を跨いでの移動に制限がかかり、それまで年末年始しか帰省しなかった私は焦った。電話で連絡をとる頻度こそ増えたが、やはり顔を見ない期間が長すぎるのは不安を増大させ、ストレスになった。行動制限が緩くなるとすぐに会いに行き、互いの健康を確認して安心を得た。この少し前に、母は新型コロナウイルスではない感染症で入退院していたそうだ。入院に際して私に連絡が来ることなどなかった。――「心配するから連絡しない」ーー父はそういう人である。そんな父に対抗し、私は「心配なんかしないから連絡して!」と言った。目茶苦茶な親子である。

多くの高齢者によくある歯周病菌由来の細菌性感染症で2度の入退院をした母のことを考えると、もしかしたらいつか・・・という思いがよぎった。平均寿命からするとまだ若いと言われる70代前半ではあるが、幼少期の病気のことを考えればやはりそのような想像をしてしまうものだ。そしてそのときが来た、ということなのかなと思った。

 

あの日から49日間、母のこと、実家の父と兄のこと、自分のこと、いろいろ考えてきた中で、四十九日法要の日が近づくに連れてある緊張感が増幅していった。

――どこに納骨するか――

昔からある墓地は墓石の下部に納骨スペースがなく、30年近く前に敷地内に設置した納骨室建屋があるのだが、長年使われなかった扉の鍵が開かなくなり父が工具でぶっ壊して開けたまま修理されていない状態だった。鍵のかからない建物に大事な母のお骨を置くなんて、私としては不用心だし言語道断だと思っていた。父は育ちの影響もあるためか物に対する執着が異様に強く、仏壇スペースのある居間にそのまま置いておきたいと言った。(父の第二希望は納骨室。)兄は人とのコミュニケーションが苦手で、お寺に預けるとお寺との関わり・連絡の頻度が上がるのではと懸念し、納骨室に納めようと言った。お寺の住職は、「お墓に納骨できないのであればお寺で預かって供養していきますよ、ここ(実家の居間)は生活の場ですのであまりお推めはできませんのでね…」というようなことを仰った。私の意向はお寺での供養一択だったので、3人の要望が全てバラバラになった形だ。その日のうちに彼らを説得することはできず、法要前にまた話そうということで一度引き下がった。

そして法要の数日前から説得の方法をあれこれ考え、お寺に納める意味やら理由(うちはいずれ永代供養になる)やら、話の順序を組み立てたりしていよいよ準備万端!と思いながら帰省し、「で、どうするか決めた?納骨室にするの?」と発した自分に違和感を覚えた。「有意義な正論を組み込んだ説得方法」を頭の真ん中に据えているのに何故か、父と兄の意向を汲む発言が意図せず出てきたのである。話しながら不思議に思ったし、父と兄の「それ(納骨室)でいきたい」という返答に「じゃあそうしよう」と言った自分に更に困惑したが、話し合いが1分もかからず終わったことに安堵する自分もいた。

あんなにいろいろ考えたのにあれは何だったのだろうと、後で考えてみた。きっと母だ。「お墓(納骨室)でいいよ」と。

人は眠っている間に魂がスピリチュアルワールドに帰省していると本で読んだことがある。そこからより良く生きるためのヒントを得て目覚めるのだと。夢で見せるわけでもなく、でも確実に私の潜在意識に「あれ」を植え付けたのだろう、と思うことにした。実際にあの土地、あの実家に住んでいるのは私ではなく父と兄である。あまり私が自分の意向を押し付けるのはお互いにとって良くないのだと、母は教えてくれた。実はお寺からお墓への道すがら、車内で兄と少し口論になった。兄は「最近〇〇(私)は命令口調だよな、ムカつくな」と言った。言葉を組み立てるのが苦手な兄への思いやりに欠けた私の正論にまともな大人の言葉で返せない苛立ちを露わにしたのだ。

私は少し後になって反省した。

不都合な記憶

法要のときに祭壇に飾る花を注文した際のやり取り→→→

(年中無休って書いてあったけどなかなか電話に出ない、しぶとく10コールほど待ってそろそろ切ろうかと思っていると、出た)

花屋「はい〇〇◯花です」

私「(🙂?お待たせしましたとか言わないのね💧)もしもし、法要で使うお花を1対注文したいんですが」

花屋「はいありがとうございます。・・・・・・」

私「・・・・・(こちらから話し始めるのを待ってるな、この人💧)」

花屋「・・・もしもし?」

私「はいもしもし😑」

花屋「えーと、いつ必要ですか?」

私「◯月△日の□時からの法要なのでそれに間に合うように、ということで当日か前日のうちに…」

(まだ話し終えていないのに食い込まれる)

花屋「どちらで行われますか?」

私「?・・・〇〇(地元の地名)で…」

花屋「?お寺はどちらになりますか?」

私「(お寺がどこなのかって聞いてよ…💧)△△寺です」

花屋「△△寺ですね、おいくらくらいにしましょう?」

私「一万円くらいでと考えてますが、大きさはどれくらいになりますかね?」

花屋「5千円が2つですね、大きさがどれくらいかはお答えできないですけど…」

私「😮‍💨あー、そうですか。(まぁ聞く必要はない質問だけどさ…)」

花屋「ではお名前とご連絡先をお願いします」

私「□□◎◎です、電話番号は_ _ _ _ _です」

花屋「□□様ですね、お支払い方法はどうされますか?」

私「(?どうされますかって、普通そっちから選択肢をいくつか提示してから聞くものでは?🤨)えー、例えば?」

花屋「振込にされますか?」

私「(選択肢1個かい!😇何でもいいんだけどさ)自宅に持ってきてもらったときに支払いはできますか?」

花屋「それはできなくて振込でなければ店に来て頂いてお支払いして頂きま…」

私「あ、じゃあ振込にしましょう(←ちょっと投げやりな言い方、食い込み返し🥸)」

花屋「では振込先を言いますがよろしいですか?」

私「はい」

花屋「〇〇(金融機関名)、△△支店」

(ここで支店名△△の漢字の説明をされる)

花屋「(支店名の漢字が)わかりますか?」

私「はい😑」

花屋「口座番号が_ _ _ _、名前が□□◎◎」

(ここで名前の漢字の説m…略)

花屋「(名前n略)わかりますか?」

私「はい(はいはいはい😑てかカタカナ入力だから漢字の説明いらんて🥱)」

花屋「では口座番号をもう一度言います、_ _ _ _

私「はい😴…で、どこにお花を届けてもらえますか?」

花屋「店の方に取りに来て頂くか、こちらからお寺に届けますが。」

私「じゃあお寺に届けて頂くということでお願いします😑」

花屋「はいありがとうございます。では◯月△日□時までに△△寺にお届けしますので」

私「(花の色みとか故人の好みとか聞いてくれなかったなぁ、もういいや😇)はい宜しくお願いします、失礼します」

うろ覚えだがざっくりとこんな感じ。ふぅー🥸💢

 

・・・アンガーマネジメントって何だっけ。

6秒どころか1日経っても治まらなかった、このモヤ(´・ω・`) 私の海馬は今日も元気に機能してくれている。

 

田舎のサービス業のCSレベルってこうなのか。(もちろん皆そうではない!)いや、こちらのお店の場合、CS以前の問題だ。電話注文における対応マニュアルがないことが明白であった。話が飛ぶは飛ぶは🦅咄嗟の(どうでもいい)質問への対応はまぁなくても良いとして、商品の届け先、日時、支払い方法など基本的な確認事項の聞き方がぐちゃぐちゃな印象だったものだから、客としては不信感が生じても仕方あるまい。もっと言うなら冒頭に戻るが、電話の出方とその口調よ😮‍💨更には不要な漢字の説明と「わかりますか(小学校で習うレベル)?」の二重の失礼に伴う時間の無駄。

このような目にあったのは、直近で私が人に対して失礼を冒し、時間を奪ったから…かもしれない🙄少し前にSNSで見た、TVドラマで菅田将暉さんが役の中で言った台詞:「したこともしなかったことも、全部自分に返ってくるだけです」

自分の行動、言動に引っかかりを感じるとき、そこには反省がついてくるが、反対にそれを意識できずに他人をモヤらせっぱなしの場合、きちんとお返しを頂く=ブーメランを食らうことになるのだと思う。お天道様はちゃんと見てる、とはよく言ったものだ☀

花屋さんに返るブーメランが穏やかであることを願わずにいられない🙏

仕事再開

学生の春休み並みに長い閑散期が過ぎ、新年度の仕事が始まった。いきなり繁忙期になるため、心身にかかる負荷メータは0から一気に振り切れてしまう。細々とした反復運動で下腿下部から足先(特に脛、足背)にかけて筋肉痛に見舞われた。ランニング後のケアに使っているフォームローラーとボールでよくほぐし、翌日に備えた。

迎えた明くる日は当社の設備の中で最も新しいものを使用することになった。操作するスイッチ系統の配置が従来のものと異なり、手捌きに手間取ってしまったがすぐに慣れた。その中でどうしても慣れなかったのは、とあるスイッチの硬さだ。結構な力が要る上に親指を強く押し込む(長い時は7〜8秒)ようにしなければならないため、その操作を約500回✕2(元に戻す)=約1000回もやると・・・指先を痛め、母指球付近に筋肉痛発生という運びになる。その後ペンで字を書くのに少し苦労した。この痛みは翌日には消失したが、今後のためにスイッチング時の工夫が必要だと感じた。"出っ張っているスイッチを押す"だけなら良いのだが、"平らなところから奥に押し込む"には指先に負荷をかけるしかない。しかも強い力が必要となれば自然に親指が犠牲になる。

スイッチの径よりもひと回り小さく、硬すぎず柔らかすぎないモノ・・・消しゴムか😳!これをスイッチの上に貼り付けるなどして母指球などで押せば指の負荷を軽減できる‼

文房具売り場で程よい大きさの消しゴムを探してみる…角張った部分を削ぎ落としてちょっと丸くして…と想像してみる。何だか面倒くさくなってきたし、人に見られた時説明するのもこれまた面倒だ。と思っていた時に目に入ったのは、丸い形のマグネット💡これなら削る必要もないし、テープで固定するだけで簡単だ!硬さはクリアしていないが、指先の負傷は免れられるから、良し。

冒頭にも書いた細々とした反復運動や作業により、筋肉痛やら打撲やら擦り傷・切り傷が絶えない仕事を続けて16年、いろいろ学んで知恵がついたものだなぁと振り返り、今回も一件落着したぞ!という小話、完。

今年の桜

昨今の入学シーズンは葉桜で迎えることが多かった印象だが、今年は淡いピンク1色、見事なタイミングの開花となった😊🌸母の忌中であるため静かに過ごしている中、母を思い出しながら桜並木の遊歩道を歩き、香りを感じて穏やかな気分になる。

今日の明け方、久しぶりに母が夢に出てきた。母が健在の頃、週に2、3回は夢に登場していたが、亡くなってから1ヶ月、一度も出てこなかったのをずっと不思議に思っていた。夢の内容はというと、今の実家と昔住んでいた家をフュージョンさせたような内装で、変なデザインの靴下を母が修繕しているという、"ヘンテコな夢あるある"であった。目覚めた後に「そうだ、お母さんいないんだった」と思い出したくらい、あまりにも普通の日常の光景を見た感覚だった。

初めての月命日に夢に出てくるとは偶然なのか、満を持してということなのか。おかげで込み上げるものが止まらないよ、お母さん😂🌸

生まれつき嗅覚が弱かった母に代わり、人一倍匂いに敏感な(自他ともに認める)私が満開間近の桜の香りを堪能してみる。お気に入りのシュークリームを買って食べてさしあげる😋


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新しい日常

黒いパンツ(下着)に茶色のムラがまばらに出ている。実家での洗濯を父に任せたところ、洗濯機周辺から塩素の匂いが異様に漂っていた。ハ◯ターをがっつり入れたらしい。「ハ◯ター使った?汚れの目立つ、白い布を洗うときに使うんだよ!」と教えた。

思えば父が洗濯を始めてからかれこれ30分以上、洗濯機の音と注水の音が聞こえていた。様子を見に行くと水栓を目一杯開いた状態ですすぎタイマーは残り12分を示していた。これは・・・洗い15分→軽く脱水→すすぎ1回目15分→軽く脱水→すすぎ2回目15分(の途中で私が登場)と推察した。注水量と時間をもっと減らしても大丈夫なことと柔軟剤を入れるタイミングを教え、最後の脱水に入った。

前回帰省した時に、二槽式洗濯機の基本操作手順を書いたメモを洗濯機に貼り付けておいたのだが、次に来た時に見てみると、ベッと剥がされてその辺にポイッと置かれていた。父曰く、使い方はもう大丈夫、とのこと。実際はこのザマである。

再度洗濯手順メモを作り、貼りに行く。ハ◯ターのボトルに「汚れ物専用 めったに使わない!」と書いたマスキングテープを貼ろうとしたが、ボトルを手に取るなりそのマステをクシャっと丸めた。

ボトル「オレ『"キッチン"ハ◯ター』だで( ¯∀¯ )」

私「・・・そのようですね、失礼しました(´._.`)」

子どもの頃から認識していたが、本当に、なかなかクセの強い父だ。いや、初心者主夫あるあるなのだろうか?何であれ、記憶を振り絞り、母の見様見真似で頑張ろうとしたのはとても伝わってきた。やはりたまに帰省するだけの娘のメモなど、長年寄り添った妻の記憶には到底敵わないのだ。だから、父のペースで少しずつ、日常を作っていけば良いんだよね。

勝手な想像の中で何だか嬉しいような、ほっこりした気持ちが込み上げた。

春の光

「春光」

先日亡くなった母の戒名の一部分である。冬の冷たい空気を温めるような、明るく柔らかい光をイメージさせる言葉。祭壇を見つめながら悲しみの涙から感謝の涙に変わったのを感じた。

 

およそ多くの人が経験するであろう"親の見送り"が突然訪れ、年齢的には遠くないうちにあるかもしれないとわかってはいても、一連の儀式を終えた後の喪失感は想像を超えて重くのしかかった。

しばらくの間の緊張感に加えて慣れない実家の寝具で寝泊まりを続けたこともあり、私の交感神経は休まることがなかったようだ。自宅に戻り、体力維持のために久しぶりにランニングをしようと、1km(7分)+rest2分を2~3セットという設定でまず1kmを楽にこなした。restに入り約1分後、異変に見舞われた。呼吸も脈拍もそこそこ速いのに、頭に血が巡ってこない感覚。俗に言う脳貧血のような状態に陥り、危険を感じたためしゃがんで目を閉じて呼吸を整えていたが、人の声がして目を開けると地面に横たわっていた。やだ、こんな所で寝ちゃった!?といった感覚だったが後頭部からの出血に気づき、通行人の方が救急車を手配してくださり、病院に搬送される事態となった。

様々な検査を行ったが特に留意するような所見はなく、"神経的なもの"によるのではないかとの診断だった。大いに心当たりがある。元々貧血気味であること、迷走神経反射が起きやすい体質であること、そしてこのタイミングである。(迷走神経反射:睡眠不足、水分不足、ストレスなどによる神経系の異常や様々な症状が現れること)

私自身、医療技術職の立場でありながらこんなことになったのは猛省するしかない。表在意識(大丈夫💪)と潜在意識(ダメ…😵‍💫)の擦り合せが全くできていなかったのである。いくつになっても学ぶことがあるものだと、事ある毎に思う。

その後数日間はこのことによる心理的なショックで、特に夜になっていくに連れて気分が沈んでいくのを感じていたが、それも時間の経過とともに次第に和らいでいった。毎日の食事、入浴、睡眠に気をつけるようにしてプラスのエネルギーを増やすようにイメージしている。

 

ここまでの話であれば、"突然母を亡くした人の心の疲弊"ということになるが、これだけなら私の自律神経は実はそこまでヤワではないのでこうはならなかったと思っている。

もっと根深い問題にこれから向き合わなければならないのだ。

ここまで生きてきた中で出会った言葉

「転んでもただでは起き上がらない」

「ピンチをチャンスに」

これらを心に据え置き、踏ん張っていこう。