徒然なるままに②

年末から早2ヶ月半にわたっている2拠点生活にもだいぶ慣れてきた。地元の冬は断熱材のない家で過ごすには結構厳しいものがあるが、いろいろ工夫を凝らしなんとかやってきた。

 

先日、自分の健康診断のために久しぶりに職場(健診センター)に出向いた。4月からは繁忙期に突入するため、毎年、閑散期の今が職員の健診の期間になっている。勤務シフト管理者に近況報告も兼ねて翌月の勤務の相談をした。当社は職員の平均年齢がやや高めであるため、親の体調が芳しくないとか鬼籍に入ったとかいう話を時々耳にする。親に限らず職員本人もいろいろ起こり得る年齢になっており、大多数が人生の折り返し地点を過ぎてるね…なんて話になると皆、苦笑いせずにはいられない(-_-;) 

今の職場にアルバイトとして入職したのは20代後半の頃だった。前の会社(健診会社の正社員)を辞めて医療職専用の派遣会社から仕事を頂き、様々な医療機関に出向いていた。元々正社員・正職員という「組織に縛られている感」に鬱屈とした思いを持っていたため、"ハケン"になった時は社会保障が少ないという不安感よりも解放感の方が圧倒的に強かったのを覚えている。ただ、初めのうちはそう思っても3ヶ月ほどすると、毎日毎週違う現場に迷わず行けるかどうかとか、この先訪れる閑散期に仕事が取れるかなどの不安がちゃんとやって来た。別の仕事を掛け持ちでやっているとは言え、やはり週に数日固定で入るバイト先を決めた方が良いかな…と思案していたところ、縁あってこの職場に辿り着いた。前の会社よりも収入が良く組織に縛られてる感もなく、まさに求めていた自由を手に入れたような感覚だった。当時とあるローンの返済に心身ともに疲弊していただけに、運が大きく開けたように思えた。

そういえばその会社を辞める少し前に日本ダービーで27万円ほど当てたのを思い出した。夏のボーナスをしっかり貰ってから辞めて、しばらく派遣の仕事が安定しなくてもギリギリ食い繋げられる計算だったはずが、その計算が違ったようで1ヶ月分の生活費が足りない事態になっていた。ウオッカとアサクサキングスの馬連という、当てずっぽうの大当たりにとても救われた。お金に振り回されたり救われたり、波乱の時期だったなぁと思う。

私はおカネとの向き合い方はあまり上手い方ではない。おカネに限らず、将来のことを想像したり目標を立ててプランを練るといったことを真剣にやらないタイプだ。切羽詰まってからその時の強い感覚に従って動く、というのを20代でよくやっていたが、その自覚はあった。とはいえ嫌だと思ったら職場をすぐ辞めるとか焦って何かを始めるということはなく、ある程度我慢したりタイミングを見計らうくらいの慎重さは持っていた。

 

数々の変化のための行動が全て成功したわけではないが、今がそれらの結果だとすると相応の行動だったのだろうと非常に納得している。具体的に何があったか、何をしたかはひとまず記憶の中にとどめておくことにするが…。今となっては過去の経験となったことを、経験する前の若かりし頃は微塵も想像できなかったなぁと思うとちょっと面白い気分になる。そしてこんなことを考えている今を将来思い出した時もきっと、フッと鼻で笑ってしまうのだろう。

 

今日はこれから新しいランニングシューズで久しぶりのジョグをして、午後はその時刻が来たら大震災の被災地の方を向いて黙祷を捧げるつもりだ。

オリオン座を探す

12月下旬から現在(1月末)まで自宅と実家を往復すること5回。そしてまた3日後に実家に行く予定になっている。父の入院・手術に関わる帰省を繰り返すうちに3〜4時間の移動も慣れたものになった。新幹線移動を含むと交通費が結構かさむため、最近では在来線のみでも移動するようになり、これも難なくこなしている。

手術日は1人で電車と徒歩で病院に向かい、帰りは仕事帰りの兄が車で来院し、父の様子を見た後一緒に帰宅した。父は下半身麻酔での手術だったため、意識ははっきりしていて会話もでき、ひとまず安心。すっかり暗くなった田舎道を通り、実家に着いて空を見上げると… 沢山の大きな星たちが我が我がと言わんばかりにキラッキラ輝いていた。午後5時45分頃。

ひとつひとつの星の輝きの幅が、神奈川県で見るそれとはまるで違う。それぞれの星に遠近感があり、手を伸ばしたら届きそうな感覚になる。自己主張の強い星たちの中からオリオン座を見つけるのに少し時間を要してしまうくらい、北関東北部の夜空はデカい星で埋め尽くされていた。

翌日は父の面会(15分間指定)を終えた足で一旦神奈川県の自宅に帰宅することにした。偶然にも家に着いた時刻は前日とほぼ同時刻だった。空を見上げオリオン座が出ているだろう方角を見てみると…これまた見つけるのに時間を要してしまった。見える星の数は少なく大きさも小さい。遠近感もなく、遠い天面に小さな光が張り付いているような感覚だ。それゆえオリオン座の形を見つけるのに地元とは違う意味で手間取ってしまった。

Google検索によると主に「光害(ひかりがい)」、「大気の透明度」によってこのような違いがあるとのことだ。田舎では6等星まで見えるくらい空気が澄んでいるらしい。地元にいた頃はそれが当たり前だったのだろう、気にもとめたことがなかったが、2日連続ほぼ同時刻に同じものがこうも違って見えるというのは軽く衝撃を覚えるものだ。

 

4年ほど前の秋頃だったか、生前の母が夜に電話をかけてきたことを思い出した。向こうから電話がかかってくることはほとんどなかったので、何だろうと思いつつ出てみると、今日は満月がすごく綺麗だけど見たか、と。いたく感激していたようなので、じゃあ見てみるよと返答し電話を切った。小一時間ほどしてから上着を着て外に出て月を見上げた。確かに、くっきりと大きな月が出ていた。約140km離れた場所で同じ月を見て、うわぁ綺麗だ、と感動を共感する。離れていてもちゃんと繋がっていることを感じた思い出である。

こんなことを書いているうちにまたひとつ思い出が蘇った。小学校3年生の夏休みの宿題だったと思うが、画用紙に描いた絵のこと。与えられたテーマははっきり思い出せないが、母と2人で夜に南の空に出ていたさそり座を見ている様子を後方から俯瞰で見た図。昔から星を見るのが好きだったようだ。

「星」の一語から昔の記憶がポロリポロリと出てきてしまった。成長期の記憶というものの根深さを感じた。この頃の経験と記憶が今の自分の思考や行動の原理になっているんだなぁなどと、書きながら感慨にふけってみたりしている。

 

仕事の繁忙期にも月イチくらいで帰省しようと思っているので、毎月地元の夜空を見るという楽しみができた。

鼻が痛い

鼻に指を突っ込んだときに指先がぶつかる所ら辺が痛くなってから、4日目。4日前に実家で就寝中、鼻がムズムズし始め、下鼻甲介(鼻の穴を覗いたときに奥に見える隆起)が腫れてくるのを感じ、鼻炎でもう寝られないと起床したのが4時過ぎ。前日夜も訳あって2~3時間しか眠れなかったのに、2日連続はさすがにこたえた🤧

寝室には畳のうえに絨毯が敷かれており、そこに布団を敷いて寝るスタイルになっている。普段は父が絨毯に掃除機をかけているようだが、母が亡くなってから1年半以上、布団の手入れが疎かになっていた。ハウスダストアレルギー持ちの私には死活問題だ… 昭和時代に購入したと思しき重い寝具に応急処置として掃除機をかけ、この日は自宅に帰宅した。翌週また帰省するのだが、次は布団乾燥機を使うつもりだ。布団の上げ下ろしが小柄な身体には負担だった母は布団乾燥機をよく使用していた。

母は生前、掃除が行き届かないところがあった。というのも、人一倍小柄だったからということもあり、自分の手と目が届く範囲でしか掃除していなかったように思われるからだ。たまに私が帰省したときに埃が気になる部分を掃除していたが、どうにもならない場所は見て見ぬふりをしていた節があった。例えば、父が箪笥の上に乗せた"何か"の上に新聞紙を覆い被せたものに溜まった埃とか。これは脚立でも使わないと私も手が届かず、心が折れて掃除を諦めざるを得なかった。

幼少期から不眠気味であることを自覚していたのだが、アラフィフに突入した今は睡眠の重要性を身をもって知っているはずなのに、布団のケアを怠った代償がここに来て襲来して初めて後悔することに相成った。翌週の帰省前の今まさに、ボロ屋敷の寒さとハウスダスト対策の準備真っ只中である🧹

 

睡眠不足の解消は徐々に進んではいるが、ここでまた少し時を遡らせる。アレルギー発症の前日夜も眠れなかったことについて。

寝室は父と同室としている。先に父が床に就き、しばらくして私も布団に入る。父がむくりと起き上がりトイレに行き、戻ってまて寝る。それが5~6回あった。はっきりカウントできるくらいに私も目が覚めてしまう。初めの数時間は私がまだ寝付けていない間に起きているので、結局私のトータルの睡眠時間は前述の通り2~3時間であった。

父はかれこれ10年以上、腹部臓器の疾患をもっておりその影響で頻尿になっている。これまでも夜中にトイレに行くことは多々あったが、この月始め頃から急に調子が悪くなったと自覚し主治医に見てもらったところ、付随する臓器に癌らしきものがあると言われ大きな病院を紹介してもらったそうだ。そして紹介先の病院に兄と出向き、画像検査と結果通知の日程をそれぞれ決めてきたことを私は兄からの電話で知ることになった。「心配かけるから◯◯(私)には内緒でってお父さんは言ってたけど」とのこと。何度もやられたので今更怒りも呆れもない自分がいた。即日教えてくれた兄には感謝しかない。兄も完全に父優先で仕事を調整できるわけではないから当然なのだが。私の方が仕事が閑散期に入ったので病院の付き添いはしやすい。画像検査から帰宅した頃を見計らって父に電話し、結果通知に私も付き添うことを告げた。

帰省して話を聴くと、相次いで行われた検査(の手技)によるものと思われる後遺症(違和感や痛み)が続いていることが辛いようだった。これと癌に対する不安が相まっての夜中のトイレ5~6回だったのだろう。

私の方はというと、兄からの電話の後早速その臓器の癌についてネット検索したり医学大辞典を引っ張り出したりで今後の対策に備えた。癌の浸潤の度合いで手術やその後の生活が大きく違うものになるということがわかり、まさに天国か地獄かという両極端な気持ちになることを覚悟した。たとえ悪い結果だとしても、現実を受け入れて対処しなければ!と。病院に向かう車中で父が「あまり悪くて治らねぇようなら、はぁ(←『もう』の意)長く生きなくたっていいでぇ」と言ったので、私は「もうちょっと年金稼いでちょうだい(笑)!(語弊御免)」と言った。運転していた兄は静かだった。

 

開院して10年に満たない綺麗な病院は、私がかつて勤務していた大きなグループ内の病院だった。次の検査日にも同行する予定だが、元上司や元先輩などの知人がきっといるだろう。それはさておき、予約時刻が遅かったとはいえ待合スペースに腰を下ろすこと約90分でようやく呼ばれ(予想通り!😅)、天と地どちらに転がるか分からぬ緊張感から解き放たれた。医師の口調はついさっきまで診察して検査を一旦挟んで続きを話し始めるかのような雰囲気でスラスラとしたものだった。MR画像診断上は現時点で転移もなく、病巣もステージT2だけれどそこまで深くなく、内視鏡的手技(いわゆる外科手術による臓器全摘ではなく、"内科手術"もいうもの)で癌組織を切り取って除去する手術で根治を目指していきましょう、というお話だった。ステージT2だと全摘の適応となりがちだとネットにも辞典にも書かれていたが、高齢者の場合、投薬と合わせて温存が選択されることもある、とも書かれていたので今回これにも該当したのではないかと考えている。

ひとまず、"天"に味方になってもらえたと捉える。

帰りの車中では兄は多弁だった。初めに見た内視鏡画像に大きなショックを受けていたようで、病巣の範囲も広いからきっと深く浸潤しているのだろう、周辺臓器にも転移しているのだろう、即ち"末期"なのだと思い込んでいたらしい。それが拍子抜けするような結果で安心したのか、好きな作家や本の話をしばらくの間続けていた。ほんの少しうんざりした。

 

その臓器の癌は手術後に再発しやすく5年生存率も低めという統計データがある。父の場合も、あくまで現時点では温存で様子をみましょうということにすぎない。年齢も年齢なので、別の病気に見舞われることもあるかもしれない。

私はできる限り、父の様子を見に、自分の顔を見せに行く所存だ。以前は頻繁に帰省なんて疲れる…と思っていたが、ランニングで体力がついたこともあるのか、既に行き来に慣れたのか、それは全く苦ではなくなった。やはり対策すべきは実家の夏の暑さ、冬の寒さ、季節を問わぬアレルゲン👾🦠

 

因みに、結果通知受けた後の父はというと… その日は鎮痛剤を処方してもらい、早速服用してみたもののそれほど効果を感じないようだった。つまり、そこまで強い痛みではなく中途半端な鈍い痛みなのだろう。とはいえ、痛み止めをもらえたことで受診前までの仄暗い雰囲気は明らかに消え、夜もトイレ2回に減るまでに精神的な安心が得られたのではないかと思う。お父さんが安心して眠れるなら娘はちょっとキッツい鼻炎くらい耐えてみせるよ😂

徒然なるままに①

多分、こんなタイトルを使いたくなるときが今後もあるだろうと予言しておく。今日の出来事でもつらつらと書こうかなぁなんてときに便利である。これといったタイトルが思いつかないときにもいいな。

 

週間天気予報でもこの土日は雨マークになっていた。早朝に見た3時間予報では夜から本格的に雨となっていた。今日のランニングは小さな川沿いの遊歩道と畑の側道(3.3km)をスロージョグ10kmという予定だったが、外に出た途端、あれ、もう降り出してんじゃん、でもまぁこれくらいなら大したことないだろと思いそのままコースに向かう。50mほど進んだところでもう雨足強くなってきたぞと、コース変更を決定した。こちらは2級河川の遊歩道を含み、緩いアップダウンがあるコース(2.5km)となっている。なっているというか、勝手に作ったコースである。自宅からスタート地点まで近いので、走った後に雨や汗で身体が冷える時間が短く済む。走り出してから更に雨量が増えたが気にならない。横浜マラソンで経験したシャワーランを思えばただの小雨にすぎない。すれ違う歩行者は皆傘を差しており、こんな雨でも走るんだな〜とか、これくらいなら余裕だね、とか思われてるんだろうか…などとつまらぬ想像をしながらひた走る。シャワーランレベルの雨量になったら2周(5km)でもいいかと考えたりランニングクリニック(ランニングに特化したトレーニングイベント、略してランクリ)で教わった腹圧を意識しながら、楽な呼吸で走れるペースを維持する。

3kmを超えた頃に雨が止んだ。心肺も股関節も足関節も好調だし、3周行こうかどうしようか思案していた4km目、小さな公園の方から声がした。

「頑張ってください!」

右を向くと自転車に乗る高校生と思しき制服っぽい服装の少年がいる。

え?私?

他の人に言ったのか?と一瞬の間に考えつつも右手を上げて応答のサインを見せた。そして10秒後くらいに今度は背後から「@%&¥*ありがとうございます」と聞こえてきたが、"私に言ったんじゃないかもしれないという疑念"で結構いっぱいになっていたためか、これには反応できなかった。でも最初の声かけに顔を向けたとき、向こうもこちらを見ていたのを思い出した。こちら側には私しかいなかった。やはり私を応援してくれたんだ、と初めて素直に喜んだ。見知らぬ男子高生(多分)が、彼の親御さん世代の私に声援を送るとは…たまに保育園児のお散歩中の保育士さんが挨拶してくれることはあるが。彼も陸上部員なのか?そうであってもなくても頑張ってそうなおばさんを応援してくれちゃう自然体な子っていうだけか?そんなことを考えながらこちらはテンションが上がったことでペースアップしてしまったのを抑え、腹圧に意識を戻し、切り良く8kmまで行くことに決めた。

6km目になると雲間から日差しが出てきて背中から温かさを感じた。もう少しで橋に差し掛かろうとしたとき、前方に虹が出ていることに気付いた。太陽光が分光されてるなぁ。雨上がりだもんなぁ。などと思いながら、少年の声援と虹を見るという嬉しいこと続きの1日の始まりに誰にとも何にともなく感謝の念が込み上げた。最後の折り返しを過ぎると太陽がまた雲に隠れてしまったため、もう虹は消えていた。

8kmジョグ完、自宅手前の緩い上り坂で50mほどウインドスプリントを気持ち良く行って帰宅。シャワーで汗を流し、ひと息ついて虹出現のメカニズムをググってみる。円弧の形状になる理由を知りたかったがこれといったサイトは見つけられなかった。「虹が円形になる理由は、白色光が円錐形に分光されるからです」みたいな説明ばかりで、知りたいことの説明になっていない。これはおそらく気象予報士レベルの気象光学を理解するアタマが必要だからなのだと悟った。そういう学科の当該科目を専攻するのが妥当なのだろう。もちろんそこまでの興味も理解力もないので、綺麗だったなぁ…幻想的だったなぁ…ということで良しとする🌈

"虹"でググるとやはり目に入ってしまう、スピリチュアル関連ワード。虹を見る=良いことの前兆と書いてあった。これから病気療養に入る父と一番近くでサポートする兄への思いが、私にとって良い結果(経過?)をもたらすってこと?という都合の良い解釈でいいの?などと考えてしまった。そりゃあ、この世のこの人生の苦も楽も受け入れ愉しむ所存ではあるけどさ。できればねぇ…"不安<希望"であってほしいものだよね。

「令和の虎」視聴中

YouTubeチャンネル「令和の虎」を観始めた。きっかけは自分がファンをやっている陸上系YouTuberの高校生が「令和の虎Youth」に出演したこと。"本家"と呼ばれる令和の虎は6年も前から、Youthは3年ほど前から開設されていたようだがそれらのチャンネルの存在は全く知らなかった。かつてTV番組で人気を博した「マネーの虎」からの着想から始まったということだが、放送当時の私は経済や経営に対する興味が薄く、流し見する程度でしかなかった。

ここで"大金がバンバン動く世界に興味がなかった"理由をもう少し細かく話していくと・・・私が中学生の頃の世間はバブル崩壊直後の超就職氷河期で、多くの10代後半〜大学生が進路を考えた時に"安定した生活"を求め、バブル期には不人気だった(と聞いたことがある)公務員や専門技術職を目指す人が増加傾向にあった頃である。私の親(特に父)も御多分に洩れず「安定した公務員になれ、ダメなら手に職つけろ」しか言っていなかった😅そのような言葉が潜在意識に刷り込まれたこともあってか、でも公務員推しの父の考えにそのまま乗るのには抵抗があり、自分自身の得意科目や興味を踏まえて医療技術職を目指すことになり、"手に職"を選択する形となった。沢山稼げなくても食いっぱぐれることなくつつがなく生活していければ良いという考えによるもの。

40代になり、コロナ禍を超え、親も母は急逝し父も健康不安に見舞われるようになった今、若かった頃のように今後の自分の生活を楽観的に想像するだけでは済まなくなるような現実に直面しており、ようやく「お金や健康の不安」に真剣に向き合う時が来たように思う。

そんな時に出会った(?)令和の虎(やっと話を戻せた(-_-;))。とはいえ単にお金に対する不安がそのままチャンネル視聴の興味に直結したとは思っていない。お金が絡むコンテンツではあるが、本質は"大金が動くこと"ではなく、人の思考や生き様を会話の中から読み解き、共感を生むことであると感じたからである。経営のプロである虎と様々な志願者のやり取りを見てきて、この共感というか"共鳴"が生じること=虎と志願者が見据える社会貢献ビジョンのマッチングにより、そこから虎の出資の意欲を引き出すことに成功するという傾向が見え、ここに面白さを覚えたのだと思う。

 

次に、All(出資してもらえる)になる志願者とNothing(出資してもらえない)になる志願者の傾向について考察してみた。

①All

事業または受験対策のプランにおいて、志願書に記載した内容と口頭の内容が概ね一致しており、プラン達成までの道筋が理路整然としている。また、虎や司会からの質問に対しその意図に沿った返答ができ、会話のキャッチボールが成立している。視聴者から見ていても話が分かりやすくキレの良い印象で、話し方やビジョンが明確で好感を持たれる傾向にある。

②Nothing

上記Allの真逆。話し方に他人に不快感を与える独特の癖がある、人の話を聞かない、質問の意図を理解せず支離滅裂な発言をする、自分本位である、虎や社会へのリターン内容がその場凌ぎのものである、など。「このような番組」だから虎側は一定時間まで問いかけたり詰めたりを続けるが、一般社会の採用面接や交渉の場面では不採用、契約不成立が即決されてしまうに違いない。

 

Nothingになる人の人格、個性には共通するものがある。適切な支援を受けられずに生きてきた発達障害者である。これは本家・Youth問わず一定の割合(個人的な印象では1〜2割くらい)でいらっしゃる。虎とのやりとりの中で指摘されることがあるが、コメント欄でもそういった印象を受けた人がいるのが見受けられる(そのような志願者に対して思いやりがあるのもないのも)。彼らはおそらくその自覚がないようであり、詰められて追い込まれると冷静さを失い感情のコントロールができず、口調が荒くなったり泣きだしたり(共感不可能な泣き)する。視聴していて心苦しく感じることもあるが、虎側は"詰める"といっても決していじめているわけではなく、あくまで出資の可否を判断するために厳しく聞こえる言葉を投じているにすぎず、番組の趣旨に沿った仕事を全うしているのである。

 

私自身は前述の通り派手に稼がず細々と暮らしていければ良いという考えなので、欲が出るようなことがなければこのまま給与所得のみの所得者として生きていくことになるだろう。けれど、長いこと離れて暮らしてきた家族との残された時間や自分自身の老後生活の資金についてより真剣に向き合うきっかけを、令和の虎の出演者を通じて与えられた気がしている。同じ時代を生きる1人として、慎ましく誠実に生きていこうと思う。

古い記憶

ラン友さんから音楽コンサート鑑賞のお誘いを受けた。ご本人がピアノをやっていて海外在住の相方さんとピアノ×エレクトーンユニットを結成し、YouTubeで演奏の様子を公開している。演目はポップスが多く、CMや音楽番組でよく聴く名曲をアレンジしたものである。私自身も昔ピアノを習っていたり吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたことがあり、音楽には馴染みがあったのでこのイベントをとても楽しみにしていた。

今回、この2人とは別の4人組のリコーダーアンサンブルチームとコラボレーションし、数々の演目が披露されることになった。

まずはリコーダーチームによる挨拶がてらの演奏から。リコーダーにも沢山の種類があり、高音から低音まで8種類ほどの楽器が曲ごとに変えられ演奏された。古典音楽から近代・現代音楽、外国民謡まで様々なジャンルの曲を聴いたのだが、1曲目から少し焦るような事態に見舞われた。

高音の主旋律に上手く調和した中音部の美しい和音も然ることながら、ことさら低音の響きがなんとも心に深く沁み入る感覚を覚え、涙が溢れ出してしまったのだ。なんとかこらえようとしたが、アウト!だった…(ツー・・・🥲)

 

「低音の響き」に特別な心地よさを感じることは昔からあったように思う。中学時代にやっていたトロンボーンも低音楽器だし、思い起こせば小学生の頃の器楽クラブでもバスオルガンを選んだし、小・中学生時の合唱コンクールや高校のコーラス部(数ヶ月間のみ所属)でもアルトパートに属していた記憶が蘇った。「音楽の低音部」に心を揺さぶられながら、更に不思議な感覚に陥っていく。

単に30年ほど前の「昔の記憶」にとどまらず、聴いていた演目にあったルネサンス時代が心に呼び起こされるような感覚を覚えた。ルネサンス時代はバロック時代より前の様式(人々の感覚、思想、生活)で、音楽の領域では通奏低音という、ピアノが作られる前のチェンバロやオルガンなどが鍵盤楽器の主流だった頃である。(音楽は好きだけれどその道に本気で進もうとはしなかったため、音楽の歴史や理論には詳しくないので専らネット情報である。)はっきりとした前世記憶はないのだが、知っている言葉では表現できない感覚、近い言葉で言うならやはり「懐かしい」になるだろうか。

 

仕事が閑散期に入り、スピリチュアルな感覚を磨くための時間ができたことから、ネットで調べて感覚的に好きになった霊能者Kさんのnoteに加えてYouTubeを見始め、これが関係しているかどうか分からないが(実はそう思いたい)、こういった感覚が敏感になってきたような気がしている。

Kさんはおそらく私と同年代で小さなお子さんたち(YouTubeで時々可愛い赤ちゃんのお声が聞こえてほっこりする(•ө•)♡)を育てながらカウンセリング事業を営んでいらっしゃるが、恐れながら申し上げるとYouTubeの登録者数、再生回数などは多くないため、その方面で荒稼ぎなんてしない方という印象である。話し口調もまるで世間話でもするかのようであり時折クスッと笑えることもあり、自然に受け入れられる感覚がある。自分の感覚の事実をしっかり受け止めましょう、スピリチュアルを磨くにはまずはそこからだ、と教えてくれた。それを念頭に置いて最近の出来事を思い出してみると、いくつか思い当たることが確かにあった。特に多かったのが就寝中の夢で見たことが直後の現実に繋がっていたことである。例えば夢に出てきた

  • 知り合いから連絡が来る
  • 有名人(特別思い入れもなくSNSフォローもしていない)がTVやSNSに出てくる
  • 家族に何か起きる(これは後に記事を書くことにする)

といったこと。偶然かもしれないけれど、スピリチュアルをより深く知りたいと思いKさんのお話を受け入れられたことで専門用語の「ブロック解除」ができ、上記のようなことが起きたのではないかと思っている。思いたいだけかもしれないが、Kさんも仰るようにこれは検証のしようがない。

 

だいぶスピリチュアルに寄ってしまったが、話を戻すとそもそも音楽とはそういうものだと思う。「スピリチュアル」とか「他人に共感する」とか言うと怪しさや疑わしさといった念を抱くのも事実であるが、信じる気持ちも疑う気持ちもどちらも心に生じた事実なのである。コンサートで涙した理由をその視点で分析するなら…私はルネサンス〜バロック時代に音楽家だった、または音楽をこよなく愛していたヨーロッパ人だった過去世がある、ということに辿りつくのかなと思う。

目に見えないエネルギーを音楽や普段の生活の中から感じ取れるようになっていきたい、という思いを抱き、今回の出来事は終着した。

ネームホルダー破損

仕事で使用しているネームホルダーの、バンドクリップ(胸ポケットにパチッと挟む部分)が壊れた。その瞬間深く納得し、感謝の気持ちがこみ上げた−−−

 

・・・何のこっちゃ(´・ω・`)

 

遡ること(←よく使いがち)1週間前、とある現場にて。私が大型車の誘導=厳密には、傾斜のある場所で前輪にゲタ(タイヤスロープみたいなもの)を履かせる(車の傾きを調整する)ための誘導をしていた時、同時に後方で別の車を誘導していたスタッフ(私は後ろを向いていて見えていない)の声が耳に届いた。

「◯◯さん(私)、危ない」

私は振り向きもせず、え?そんな事無くない?と思った。自分の作業の立ち位置の事だと思い込んでいた。すぐにまた同じセリフが聞こえてきた。そこで始めて振り返ると、別の車がバックでこちらに近づいている事に気付いた。あ、そっちの事か!と思い、その誘導スタッフに対し投げかけるように①「そんなのわかんないよ!…(←はっきり覚えていないため、多分このようなセリフだったと思う)」と②大声で言い放った。普段、そのスタッフに話を聞き返される事が多く、無意識に大きな声になっていた。しかも自分も誘導の最中で目を離したため③直ぐに向き直った。すると背部から怒声が聞こえてきた。

「こっちだってわかんねぇよ!!」「何だその言い方は!!」「¥$%*÷〒〆!!」(←何故怒鳴られているのか分からず、車に乗り込んで避難したので聞き取れなかった。)

動悸がする。自分が誘導していた方のドライバーに「なんか△△さん(怒鳴った誘導スタッフ)にキレられたんですけど!( ̄ロ ̄|||)」と言うと、ドライバーにこう言われた。「あぁ、お互いに緊張する場面だったからねぇ」と。

そこで私は初めて自分が④緊張感を込めて①②③をやってしまったことに気付いた。①〜④の和=ヒステリー女の怒鳴り声なのだった・・・

やらかした、完全にΩ\ζ°)チーン

その後は他の準備やら業務やらでその誘導スタッフと一対一になる場はなく1日を終えた。何度思い出しても客観的に見ても、私に非があった。

ここから地獄の1週間前が始まった。

早く謝りたい、許してもらえるか、まだ怒っているか、そんな不安に苛まれながら1日、1日を過ごすのは、この人生の中でもトップクラスの苦難だった。

 

このような時私の冷静な精神が、よっこらしょ、と静かに発動し、とある行動を起こさせる。

"スピリチュアルに助けを乞う"

心のピンチを自分で救うべく、早速スマホに関連ワードを入力し検索してみる。あるサイトに目が留まる。(この時点で間違いなく自分のガーディアンスピリットと繋がっている事を実感している。)とある霊能者のnoteに辿り着き、読みふける。

業務の合間や休憩時にも、noteの霊能者の方の記事に従いいくつかのチャネリング(守護霊、指導霊などと高次元で繋がること)を試してみた。その中の1つ、"財布"に名前をつけ、そのイメージ像に向かって話しかけてみた。長年使用してきておりそれなりに愛着はあるものの、特別な思い入れなどないと思ってたいたのだが…(因みに、気品のあるおばあちゃんのイメージ、バービーと名付けた)→

涙が止まらなくなった。

自分でも驚いたが、素直にそちら(スピリチュアル)を信じれば別に驚くようなことではなく、当たり前の事なのだ。信じない側の人からするとバカバカしく思えたり、気味が悪かったりするのだろう。しかし20代半ばでスピリチュアルに出会い、その後起きたいくつもの出来事をその視線で分析すると、あぁチャネリングしてたんだなぁと思わざるを得なかった。(思わない側の人なら「偶然」で処理して終わりということになる。)涙の意味は「大丈夫だよ」と優しく言われて安心した事によるものだと勝手に解釈した。

霊能者さんnoteの記事の内容はわかりやすいものから高度なもの(正直、ちんぷんかんぷんすぎた。AIとの対話とか…🤔)まで、なかなか興味深いものだった。チャネリングの練習方法を記してくれているので、今後もお世話になること間違いなしだと思った。

更に帰宅後、昔購入した別のスピリチュアリストの本を引っ張り出し、再読する。本の著者であるスピリチュアリストは、昔スピリチュアルブームと言われた頃TV番組にもよく登場した有名な方である。その頃まさに苦行の中にいた私にいろいろ刺さりまくり、その後の進み方、考え方に大きく影響を受けた世界観だと思った。この時からスピリチュアルワールド、スピリットの存在、自分というスピリット、周囲のスピリットとの共鳴というものを強く意識するようになった。

 

1日…1日…過ぎていく中で、激怒させた誘導スタッフに会うチャンスはなかなか巡っては来ず、大丈夫⇄やっぱり不安の無限ループを過ごし続けた。ちょうど1週間後のタイミングでその人と同じ仕事現場になる事はコトが起きた当日に分かっていたが、苦しみ抜いた1週間だった。謝るチャンスの前日はやはり少し緊張していたこともあり、夜になって再度チャネリングを試してみた。その時直ぐには効果(高次元と繋がった感覚)がイマイチはっきりしなかったが、次第に不安な気分がスーッと抜けていく感覚を覚え、久しぶりによく眠れそうな感じがした。

そして翌日、想定していたいくつかの謝罪タイミングのパターンの1つがヒットし、彼が車(大型車)に乗り込んで直ぐに私も乗り込んだ。扉を開け、

私「おはようございます」

当事者スタッフ「おはようございます」

この時の声色や雰囲気を見逃さず(大丈夫そうな手応え有り)、所定の席に着き、バスクーラーの駆動をしてくれている事に対し、

私「ありがとうございます」

当事者スタッフ「あぁ、いやいや」

私「(姿勢を正し)△△さん、先週のこと謝りたかったんですが…本当にすみませんでした」

当事者スタッフ「あぁ、あの時はお互いに(ジェスチャーを交えて)やってる時だったから…」

更に→本当に申し訳なかったです→いやいや→という会話で一連の騒動は和解し、2人のやり取りとしてはこれで完結した。

その人とは10年以上の付き合い(仕事上)になるから、個人の性格や自分との相性は良好で信頼できる関係性があったにもが関わらず、随分悩み、罪悪感に駆られたものだなぁと思った。その中で生じた考察は−−−今回の彼とのトラブルを通して自分自身の心の不安定さ、自信のなさを顧みて成長するチャンスだったのだろうなぁという事。いざ思い起こせば日頃の言葉遣いや態度、普段気にしてしまう事、執着など、反省する要素が出るわ出るわ…

今回スピリチュアルに大いにお世話になったわけであるが、実は同時にとある占星術も私の思考のベースに存在している。まぁ六星占術(とその基盤にある算命学も)のことだけど。今年からエネルギー(生命、スピリチュアル)が大きく低迷・変動するという、大殺界に突入したところだった。(算命学で言う年運天中殺は来年から。)これらの理論からすると、その時期らしい出来事がその通りに起こったことになる。これを信じない側の人用に敢えて説明するなら、やはり「偶然」とか、自分の年齢を考えれば「更年期障害によるもの」とかで納得してもらいやすいのかもしれない。

 

私がスピリチュアルを受け入れる理由を考えた時、自分の今生の軌跡(思考や興味の傾向、実際に進んできた道)の中に答えがある事に気付いた。自分の想像の世界と学校で習った事がリンクしているような感覚を覚えた。例えば、

・太陽系の惑星の配置や動き方(自転・公転)と、原子核の周りを不規則なスピンで動く軌道電子とか。

・(スピリチュアル的に)目に見えないエネルギーの波動と、原子核周辺から生じる質量を持たない光子エネルギー(X線、γ線)とか。

・物質界とスピリチュアルワールドを合わせた全宇宙という考え方と、実数と虚数を合わせた複素数範囲とか。

・霊感のON→OFF(グラウンディング)と、励起状態の原子(放射性核種)から(物理的)エネルギーが放出されて安定な核種になる事とか。

この辺りに自分や守護霊の前世が何かしら関係しているのだろうと推察する。もっとチャネリングの練習を続けて今以上に高次元との繋がりを強めていけば、いろいろ分かって面白いだろうし今後の生き方にも影響があるに違いないが、何せ気まぐれな性格なのでそこまでするかしないかは気分次第… ということで一旦終了とする(・ω・)ゞ

 

最後に、霊能者さんnoteに書かれていた内容によると、チャネリングにおいてガイドスピリットに質問や頼み事をした後に回答・応答したサインも送ってくれるようにお願いしましょうとのこと。もちろん今回の人間関係トラブルの和解を祈って応答をお願いしてみた。

→→→和解に成功!と安堵し、さて仕事の準備に取り掛かろうと、ちょっとメモしたい事をネームプレートの裏に貼っているメモ用紙に書こうと手を掛けた瞬間、「パキッ」とバンドクリップのパーツが弾け飛んだ。

「古い物が壊れるのは、これから新しいステージに進む事を示唆する」というスピリチュアルメッセージであるとネットに書いてあった。

私がその解釈を支持するのは言うまでもない( ¯ω¯ )✧